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六曲一双に歎ずる



己の出世のためなら手段を選ばぬ絵師。生粋の成り上がり系、長谷川等伯。
当時、画壇の最大流派として君臨していた狩野派に対して、無謀にも戦いを挑み続けた男。
等伯が得意としたのはサンプリング。つまり引用。ネタ元は中国の画僧から、宿敵・狩野派にまで及ぶ。
やがて等伯の引用の美学は極致に達する。そして遂には、狩野ブランドの牙城を突き崩すのである。
豊臣秀吉の子、鶴松の菩提を弔う障壁画の制作を手掛けるに至るのだ。最大の仇敵、狩野派を差し置いて。

そんな、きな臭いアナウンス、と言うか、刷り込みの所為もあって、自分は腹を括っていた。
何がって? もちろん決まっているじゃないか。時空を超えて絵師と刺し違える覚悟を、ですよ。

ところが、自分の思惑は予想を遥かに超えた角度から、裏切られる。
まず、開催地を間違えるという失態を晒すことによって、まんまと出鼻を挫かれることになる。
前売りチケットを購入し、詳細な地図が記載されたチラシをも手中に収めていたにも拘わらず、である。
早くも僕の頭の中には、等伯が創出した濃霧が立ち込めていたのだ。そうでなければ納得がいかない。

しかし、それは序章に過ぎなかった。数時間後の僕は、言葉が如何に無力であるかを思い知らされるのだから。
国宝『松林図屏風』と対峙したことによって、かつて言葉の力に依拠してきた自分の価値観が、脆くも崩壊した。
国宝だからだとかいう刷り込みはない。むしろ疑念すら抱いていた。あんなものカビみたいじゃねぇか、と。
だが、『松林図屏風』は凄かった。瞬時にして胸中が濃霧に覆われた。完全に立ちすくみ、ぐうの音もでなかった。
大袈裟だとか思う人がいたら、アレの前に立ってみるがいい。震えるに違いない。人によっては涙を流すだろう。

『松林図屏風』。アレを正確に言い表せる言葉なんて、実は最初から存在しないのではないか?
成り上がりの果てに、こんなにも静謐な世界を見つめた絵師がいた。それを知るだけで十分じゃないか。
究極的に言葉は無力だ。言葉に依拠することなく啓けるもの。そこに心情なるものは潜んでいるに違いない。
沈黙によって伝わることは実に多い。静寂は雄弁に物語るのだ。

販促コーナーで売られていた『松林図Tシャツ』と、帰りのタクシーの運転手が呟いた
「長谷川さんって、もう死んではんの?」という台詞には膝から崩れ落ちそうになったが、同時にそれらが
僕の意識をぎりぎり現実に繋ぎとめてくれた。ねぇ、お母ちゃん、そうだろ?
そして、ずっとアレのことを『少林寺屏風』と言っていた妻に、心の底から感謝した。
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テーマ : art・芸術・美術
ジャンル : 学問・文化・芸術

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No title

ついに行かれましたか、等伯展。
しかも別会場へワンクッション置いての会場入りにて!!!

『少林寺屏風』(←奥さま語録よりサンプリング)、ありゃあ本当に言葉の無力さを思い知らされますね。
筆舌に尽くし難いというやつでしょうか。
しかし、アルバイテンさんが語られるように「沈黙によって伝わることは実に多い」のだということ、
これはこのごろ実感することがあります。

それにしてもこの当時、サンプリングを何の臆面もなく堂々と続けてしまう等伯も、不敵ですよね。

No title

questaoさん、遂に行って来ましたよー!

最初のうちは『楓図壁貼付』や『仏涅槃図』に釘付けやったんですが、
最後に『少林寺屏風』に出くわして、頭の中が真っ白になりました。
究極のトリップホップだと思いました。もう何も言うことはない、って感じで。

言葉を費やせば費やすほど、本質から遠退いてしまうような感覚に陥ることがあります。
questaoさんとの作品とのファースト・コンタクトも無言の対話でしたから。
いまのところ自分は言葉を「娯楽」として使っていきたいなぁ、と考えています。

ほんと等伯の大胆すぎるサンプリングには度肝を抜かれましたよ。
いやぁー、不敵、です。
プロフィール

繁盛亭アルバイテン

Author:繁盛亭アルバイテン
ヒッピー・ボヘミアンな生活に憧憬を抱く浪速のポンコツ。
物心ついたときから寝つきが悪い。

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