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アナタが分からない、だから惹かれる



1992年にURが最初のアルバムを出したとき、当時『ミュージック・マガジン』のあるライターは、
「こんなものは黒人音楽ではない」というような調子で酷評していたらしいですね。酷いな、まったく。
これはライター殿の狭量な考えを、自ら露呈してしまっていると言わざるを得ないでしょう。
他人の考えや、言動、作品、モチベーションなんてものは、そう簡単に理解できるものではありません。
人種が異なれば、尚更ですよね。分からない、だからこそ面白いし、驚嘆するのです。
「こんなものは黒人音楽ではない」、何をもってそんなことが言えるのか、笑止。笑止の至りです。

一転、19世紀ロシア文学界最大の巨匠、フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキーは言います。

他人をくそみそにこきおろすことも、俺は何でもできる、何でも『俺の思うまま』なのだということを、
他人に思い知られることもできるのだ、つまり哀れな者なら考えることもできないようなことが、
自分には出来るのだと思い込みたいのである。


著者の4年間の獄中の体験と見聞の記録である『死の家の記録』には、様々な囚人が登場します。
それらの人物が詳細に描写されるのですが、ドストエフスキーのような人物を以ってしても、
彼らは計り知れない存在として描かれるのです。分からない、だから感嘆に値するという訳ですね。
本書にストーリーはなく、ひたすらに人間観察の記録が続いていくのですが、登場人物のひとりひとりが、
本書にとっての思考になっています。小説とは究極的に思考の塊であると思うので、本当は物語なんて
必要ないのかもしれません。肉体という牢獄に囚われた魂を、開放することなど、不可能なのです。
永遠に囚われた思考の片鱗を、辛うじて言葉に転化し、書物として残す。その最大の成果が本書であり、
ドストエフスキーという脅威の書き手による、究極の悪あがきなんです。騙されたと思って、新潮文庫版の
190ページから続く世にも奇妙な会話を読んでみてください。計り知れない他者との関係が、炸裂しています。

フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキー / 死の家の記録
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テーマ : 小説
ジャンル : 小説・文学

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繁盛亭アルバイテン

Author:繁盛亭アルバイテン
ヒッピー・ボヘミアンな生活に憧憬を抱く浪速のポンコツ。
物心ついたときから寝つきが悪い。

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