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つぎの夜へ

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2010年最後の更新になります。ラストを飾ってもらうのは、この2冊しかないと思っていました。
20世紀最大の傑作、サミュエル・ベケットの『モロイ』と『ゴドーを待ちながら』です。
僕のこれまでの人生に於いて、最も重要な2冊であり、生涯かけて追いかけることになるであろう作品。
詳細には立ち入りません。なぜならベケットの言葉を読むことでしか、本書の魅力は伝わらないからです。
さっそく本文からの引用を読んでいただき、溜飲を下げていただきましょう。まずは『モロイ』から。
モロイが海岸で拾った16個の石を、重複することなくしゃぶろうとして、四苦八苦するシーンです。

そこでぼくは別の方法を探しはじめた。まず手はじめに、一つずつの代わりに、四つずつ動かしたほうが
いいではないかと考えた、つまり吸っているあいだに、外套の右ポケットに残っている三個の石を手に取って、
その代わりにズボンの右ポケットの四個を入れ、またその代わりにズボンの左ポケットの四個を入れ、
またその代わりに外套の左ポケットの四個を入れ、そして最後にその代わりに外套の右ポケットの三個と、
吸い終わってまだ口のなかにある一個とを入れるのである。

このような試みが、改行も無しに、永遠と続きます。戸惑いを隠せない方も、いらっしゃるでしょう?
これらの表現に何の意味があるのか? 何かの比喩なのか? そもそも何が面白いのか?
しかし、このシーン、この描写が、ベケットと言葉の関係を如実に物語っているのです。
常に神の視点に立って、物語をコントロールすることばかりが、作家の仕事ではありません。
そもそも言葉に意味などありません。僕たちは、それほど意味や意義を背負って生きているでしょうか?
ちなみにモロイが石をしゃぶるのは、自然を手なずける為だそうです(笑)。さて、続けましょう。
次は不条理演劇の神髄とも言われる『ゴドーを待ちながら』の、台詞から。極限状態で放たれる言葉です。

いいかげんにやめてもらおう、時間のことをなんだかんだ言うのは。ばかげとる、全く。いつだ! いつだ!
ある日ではいけないのかね。ほかの日と同じようなある日、あいつは唖になった。わしは盲になった。
そのうち、ある日、わしたちは聾になるかもしれん。ある日、生まれた。ある日、死ぬだろう。同じある日、
同じある時、それではいかんのかね? 女たちは墓石にまたがってお産をする、ちょっとばかり日が輝く、
そしてまた夜。それだけだ。前進!

自分たちの生きる時代が、特別な時代であると思い込みたい人々の幻想を打ち砕く、完璧なアジテーション。
瞼を閉じれば闇の世界、瞼を開ければ光の世界が始まるように、常に僕たちは終わりながら始まる世界に
生きている。ユートピアを想わせる終末なんてやってこない。ならば残された道は、共生。それしかありません。
ひとつの終わりが、すべての終わりになるような考えを徹底して否定し続けた作家、それがベケットなんです。
不条理なんかじゃありません。繰り返しを生きる僕たちにとって、これほど真摯な書き手を、他に知りません。

そんな訳でいよいよ「終わり」が近づいてきました。冒頭で申し上げたとおり、本年度最後の更新であると同時に
『まだ寝ません』としてのラストとなります。レヴューというには情報に乏しく、日記と呼ぶには妄想過多で、
そんな胡散臭い文章を、僕はいつしか「作品」として意識するようになっていました。どんな「作品」にも終わり
があります。僕はそれを1年間と定めました。途中、挫けそうになりましたが、皆様のおかげで、なんとか今日
まで続けることができました。更に皆様からいただいた多彩なコメントによって、念願の多声性までをも獲得する
ことができたのですから、感謝の想いは尽きません。本当にありがとうございます。

今回で『まだ寝ません』は「終わり」になりますが、それは決してすべての終末を意味する訳ではありません。
この記事をアップした時点で、「終わり」ながら「始まる」もうひとつの世界が、立ち現れるでしょう。
そんな次の夜、そのまた朝が来る日まで、おやすみなさい。

みニャさま、良いお年をお迎えください。
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サミュエル・ベケット / モロイ
サミュエル・ベケット / ゴドーを待ちながら
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テーマ : 小説
ジャンル : 小説・文学

冷たく流るる血



1950年代にアメリカの片田舎で実際に起きた一家惨殺事件。
凄惨極まりない悪夢のような事件を、5年の歳月をかけて追った渾身のルポタージュ。
おそらく誰が読んでも、心を掻き毟られるのではないでしょうか?
幽霊だ、ゾンビだ、とか言ってキャーキャー言うてますけど、人間ほど恐ろしいものはありません。
文字に変換されているとは言え、加害者ペリーと正面から向き合うのには、強烈な苦痛が伴います。

植物が必ずしも真っ直ぐに育たないのと同じで、「あるべき姿」が分からないままに成長してしまう人間もいる。
人間は、その捩れを意識的に修正することは可能なんでしょうか? どうか教えて下さい、夜回り先生。
本書を読んで、僕は日本の「彼」のことが何度も脳裏を過ぎりました。生かされることを許された「彼」。
それは捩れを修正するための時間を与えられたと言い換えることができるのかもしれません。

『冷血』はミステリーの類いではないので、はっきりと申し上げますが、ペリーにはその機会が与えられません。
つまりは極刑に処されるのです。魂を絶つこと、捩れを断つことで、ひとまず人間は人間から眼を背けるのです。
僕には分かりません。人間を裁くということの真の解決策が・・・。裁かれるべき人間が存在するのも事実で・・・。
確かなことは、僕たちの体内には、熱い血だけではなく、冷たい血も流れているということですね。
それが捩れを生み、そして、目を覆いたくなるような惨劇につながっていくということなのでしょう。
クリスマスに、こんな話題で、本当にすみません(笑)。

トルーマン・カポーティ / 冷血

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アナタが分からない、だから惹かれる



1992年にURが最初のアルバムを出したとき、当時『ミュージック・マガジン』のあるライターは、
「こんなものは黒人音楽ではない」というような調子で酷評していたらしいですね。酷いな、まったく。
これはライター殿の狭量な考えを、自ら露呈してしまっていると言わざるを得ないでしょう。
他人の考えや、言動、作品、モチベーションなんてものは、そう簡単に理解できるものではありません。
人種が異なれば、尚更ですよね。分からない、だからこそ面白いし、驚嘆するのです。
「こんなものは黒人音楽ではない」、何をもってそんなことが言えるのか、笑止。笑止の至りです。

一転、19世紀ロシア文学界最大の巨匠、フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキーは言います。

他人をくそみそにこきおろすことも、俺は何でもできる、何でも『俺の思うまま』なのだということを、
他人に思い知られることもできるのだ、つまり哀れな者なら考えることもできないようなことが、
自分には出来るのだと思い込みたいのである。


著者の4年間の獄中の体験と見聞の記録である『死の家の記録』には、様々な囚人が登場します。
それらの人物が詳細に描写されるのですが、ドストエフスキーのような人物を以ってしても、
彼らは計り知れない存在として描かれるのです。分からない、だから感嘆に値するという訳ですね。
本書にストーリーはなく、ひたすらに人間観察の記録が続いていくのですが、登場人物のひとりひとりが、
本書にとっての思考になっています。小説とは究極的に思考の塊であると思うので、本当は物語なんて
必要ないのかもしれません。肉体という牢獄に囚われた魂を、開放することなど、不可能なのです。
永遠に囚われた思考の片鱗を、辛うじて言葉に転化し、書物として残す。その最大の成果が本書であり、
ドストエフスキーという脅威の書き手による、究極の悪あがきなんです。騙されたと思って、新潮文庫版の
190ページから続く世にも奇妙な会話を読んでみてください。計り知れない他者との関係が、炸裂しています。

フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキー / 死の家の記録

テーマ : 小説
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2010眠らせない文学BEST3

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1.佐々木 中 / 切りとれ、あの祈る手を
2.チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ / 半分のぼった黄色い太陽
3.ロベルト・ボラーニョ / 野生の探偵たち

新刊はそれほど読まなかったのですが、上記の作品は群を抜いて素晴らしかった。
テーマはポリフォニー、つまり多声性です。3作品の中に渦巻く、いくつもの声、声、声。
それらを辿ることで読書は、ひとつの小さな「革命」へと結実するのです。読書は暇潰しではありません!

テーマ : 小説
ジャンル : 小説・文学

生活向上委員会



とある「郊外の街」に暮らす青年・オレ。
<自分自身>と<毎日>に納得いかない鬱屈を抱えていたオレは、
同じ想いを抱く仲間と出会い、そしてある計画を思いついた。それは・・・・・・街の悪を成敗する活動!


はい、ということで、福満しげゆきさんの漫画『生活』です。
僕はあまり漫画は読まないのですが、数年に一冊程度の割合で、凄まじい強度を誇る作品に巡り合うんですよ。
本書は福満さんにとっての唯一のアクション漫画ということになりますが、どうしてなかなかユルいです。
そこに、福満さんの優しさが感じられ、それによって、数多ある骨太漫画を蹴散らす強度を保っています。
もちろん地球の存亡を賭けた戦いが展開される訳でもないし、世界の終わりが告げられる訳でもありません。
あくまでも自分たちの日々の「生活」を守るための戦いが、鈍臭く展開される訳です。
緊迫感があるんだかないんだか、本気で戦ってるんだか遊んでるんだかわからないまま、ズルズルと・・・。
いまの僕たちにとって「敵」や「悪」とは何なのか? あたりまえのように繰り返す「生活」の本質とは何なのか?
福満さんは、本書を通じてそのようなことを世間に問うている・・・ようでいて実は問うていないと思います(笑)。
サミュエル・ベケット風に言うと、何が起きようとも明日には昨日と同じ今日がくるってことですね。
例え北朝鮮が愚行を重ねようとも、世界の終わりはやってこないのです。
終わらない戦い、それこそが「生活」なのかもしれません。

福満しげゆき / 生活

テーマ : 小説
ジャンル : 小説・文学

プロフィール

繁盛亭アルバイテン

Author:繁盛亭アルバイテン
ヒッピー・ボヘミアンな生活に憧憬を抱く浪速のポンコツ。
物心ついたときから寝つきが悪い。

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