パンゲア食堂EXCLUSIVE
僕がグラフィティ・アートに惹かれるのは、そこに不穏なざわめきを感じるからです。
ありきたりな景観の中に突如として立ちはだかる異物感とでも表現すれば良いでしょうか?
自分が立っているこの場所で、憂い気なアウトサイダーがスプレー缶を手に佇んでいた。
そんなことを想像しただけで心が波立つと言うか、背筋がゾクゾクしてくるんです。
それは数時間前の出来事かも知れないし、あるいは数年前なのかも知れない。
時間の堆積は公共物の表面に刻み込まれているのでしょうけど、確かなことは解かりません。
ただ、そこに「絵」があることによって、確実に街が歪んでしまっている。
歪みは、また別の歪みへと繋がる暗黙のバイパスのようなものだと、僕は認識しています。
アートは真実への片道切符を無条件で差し出してくれる。足を踏み入れるか否かは自分次第ですが。
questaoさんが運営しておられるパンゲア食堂のエクスクルーシヴ・ギャラリー「ギャラリー5603」を
鑑賞していたときにも、同様の感覚に囚われました。背筋がゾクゾクするこの感じ・・・。
しばらくの間、僕は一枚の絵の前から動くことができなくなりました。
ゲットーの町角に刻印されたかのような音楽家の残像は、こちらに対して強烈な共振を求めてくる。
音楽家の背後には、ノルウェー語やアラビア語で書かれた様々なメッセージが漂っています。
それはフラッシュバックする音楽家の略歴なのか、それとも自分に対する何らかの警告なのか?
この絵が、自分にとって途轍もなく意味のあるもののように思えてなりませんでした。
その衝動は抑えることが不可能な状態であり、無謀にも僕は店主に交渉を持ちかけてしまったのです。
そして、幾日かの時を経て、その作品「Live in Oslo」は僕の手元へと届けられたのです。
実際に手にしてみると、絵の中に内包されているグルーヴ感が直接的に伝わってきて、
音楽家は何も歌ってはいないのに、我が家に強靭なビートやうねりを与えてくれた。
これが店主questaoさん仰るところの「時間芸術」というものなのでしょう。
いま流れている時間だけが、すべてではないと言うことですね。
このとき僕は、店主と作品に対して深い深い縁を感じずにはおられませんでした。
妻にはシュールな「イノシュシ」を贈呈してくださった店主。
questaoさん、本当にありがとうございました。
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